2002年10月30日
東京メトロポリタン歌劇場
ECM唯一の公式フル映像。
長年の病を経て、音の間(ま)が格段に深くなっている。
カメラはほとんど動かず、照明は淡い。
まるで「沈黙がピアノを弾いている」かのよう。
️ 彼の指先が光を掬い、影を沈める。
これが、映像として最後に残るソロコンサート
(Dustin O'Halloran ; Opus 55)  
ゆっくりと 呼吸をはじめる
ステージの光
手はまだ宙にある
静寂のホール
音はすでに 空気の中で
震えている
観客の誰もが 耳ではなく
魂を 澄ませている
── 最初の音が落ちる
あの 一秒の永遠を         
(Akira Kosemura ; Someday)
やがて、ひとつの音が生まれる    
(On the Nature of Daylight)
まるで 夜明け前の祈りのように
ゆっくりと 静寂を撫でる
鍵盤の上に置かれた手は
光と影の間で 迷子になり
やがて 沈黙を掬い上げる
どの音も 帰る場所を知っている    
(Brian Eno ; An Ending)  
それは 過去でも未来でもない
ただ ここに在る呼吸
最後の和音が消えたあと
彼は静かに頭を垂れる
音ではなく 沈黙を聴いている  
その沈黙こそ 音楽の本体だった

── ありがとう、ピアノ
 おまえの中に
 まだ 祈りは残っている    
(Brian Eno - An Ending)
 《沈黙のピアノ — A Prayer for Keith Jarrett》― To the one who made silence sing ―
 
この詩は、Keith Jarrett の沈黙へ捧ぐ祈りです。 音が消えたあとにも残る何かを、 わたしたちはまだ、聴くことができる。
1984年1月25日
簡易保険ホール(東京)
非公式映像(VHS/YouTube)
音楽的には、構築よりも「祈り」に近い。
この夜、ジャレットはピアノの上で沈黙を抱いた。
1987年4月14日
東京 サントリーホール
日本での100回目記念公演。
静謐な祈りと即興の構築美が頂点を極める。
もはや“演奏”というより“詩”──音が言葉を超える瞬間の映像。
・ECM以前の映像で最も高画質に近い作品。 音楽史的にも、彼の「完全即興の黄金期」の総括とされる。
※ 改行やインデントの多用、ページをキャンパスにみたてての文字配列、スペースの広さ、などなど私の詩作はキースの影響を受けている。
※ noteには載せず、この変形ブログにだけ載せた記事⬇
沈黙を記譜するということ、